KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年4月号
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織され、神戸出身者であるぼくの美術展が計画された。だけど僕ひとりの力では弱い。別のメディアで活動している、例えば音楽家らの協力は得られないだろうかと考えて、僕は友人の音楽家の細野晴臣さんに協力を求めた。すると彼の北海道の友人の協力でオーストラリアのアボリジニの音楽家の無料出演、細野さんの音楽仲間の忌野清志郎さんにも飛び入りで出演してもらうことになって、実に豪華なメンバーになって絵画と音楽によるコラボレーションが展開された。主催はART POWER実行委員会だが、後援には兵庫県、神戸市を始め、オーストラリア大使館、そして日本の有名企業など多数の協賛を得て、予想以上の収容人数に、地震の復興の希望を感じ取ることができた。美術家横尾 忠則神戸で始まって 神戸で終る ⑮そして「HYOGO AID by ART」のセレモニーはまだ地震の爪痕の残る明石公園の仮設舞台で開催され、当時の兵庫県知事の貝原俊民氏にポスターの売上金の目録を差し上げた。この「HYOGO AID by ART」のあった翌月、さらに「ART POWER」と題する個展の依頼を受けた。場所は六甲アイランドで、広い空間の壁いっぱいに絵画作品を展示することになった。まだ地震の被害の復興は遅々として進んでおらず、街のあちこちに青いテントが目立ち、街からは生気と活力が消えて、被害からまぬがれた住民の表情にもまだ暗い陰が差していた。そんな沈殿した空気の中から、何とか立ち上ろうという動きが、若い人達を中心に地元の有志によって、ART POWER実行委員会が組1995年1月17日、阪神・淡路大震災の年の10月に兵庫県から「HYOGO AID by ART」のための委員として国内のアーティストにポスターを依頼してもらえないか、という話があった。僕はかつて神戸に住んでいたが、現在は東京に住んでいるので、むしろ地震の被害者である、県内に居住するアーティストに委員のメンバーとして参加してもらうべきではないかと提案した。そこで白髪一雄さん、元永定正さんの元具体美術のメンバーの2人に加わって貰うことにして、約20人の画家、造形作家、写真家を推薦することにした。そして集められた原画を展示すると同時に複数枚数を印刷し、そのポスターの売上げ金を地震の被災者の援助資金にあてることにした。Tadanori Yokoo撮影 筆者20

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