KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年2月号
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―街中にありながらタイムスリップしたような空間ですね。1907年に竣工したこの建物は、今の景色の中では異質な感覚があるかもしれませんね。でも、松廼家に生まれ育ち、数寄屋造りの建物に慣れ親しんできた私には「懐かしい」と思える空間です。―花隈の松廼家には長い歴史がありましたね。はい。私にとってもたくさんの思い出が詰まっていました。震災で全壊した屋敷の光景を目の当たりにし、その後の経緯を目にしてきた私は「料亭として松廼家を復活させたい」という思いを心のどこかに持ち続けていました。―この歴史的建造物での復活に至った経緯は。この建物はJR西日本さんが所有され、ゲストハウスとして利用されていたものです。一昨年の秋にご縁があり、このゲストハウスの存在を知りました。お庭の紅葉がすごく奇麗な時期でした。その時、不思議な懐かしさに、「ここだ!」というインスピレーションが湧きました。それ以来、私はこの建物のことが忘れられずにいました。そして昨年、私どもと長くお付き合いいただいているJR西日本さんからも「神戸市の歴史的建造物でありながら十分に活用できていない。もっと多くの人に見ていただきたいと思っている」とお聞きし、「文化事業としてご一緒させていただけませんか」と提案し、4月、コロナ緊急事態宣言発令直後に企画書を提出させていただきました。―すごい行動力ですね!「文化事業として」というのは。 かつて花隈には花柳界があり、たくさんの料亭があり、各界の著名人たちが訪れました。そんな「料亭文化」を今の社会で復活させるということには、周りから猛反対を受けました。でも私は単に料亭文化ということではなく、松廼家が辿ってき41

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