ションのために、グンゼ製絲に出掛けることもあって、神戸新聞時代よりもプロフェッショナルな仕事をしているという自負に満足していた。だけど、一日の仕事が終ったからといってさっさと退社するわけにはいかない。他のデザイナーも、仕事は終了しているにもかかわらず、帰る気配がない。「おつかれさま」なんて帰る者は事務の女性ひとりで、机の上だけはきれいに整頓したまま、一言も漏らさないで、黙って、まるで禅堂のように静かに向い合って、ただただ無為な時間の過ぎていくのを時計とにらめっこしながら、無言で座っているだけである。所長や常務がいる時は帰れない。大部屋には城戸さんという部長がいるが、この人は年中忙しく、いつも遅くまで仕事美術家横尾 忠則神戸で始まって 神戸で終る ⑪とりの横溝敬三郎は僕と同時に日宣美の会員になった京都芸大出身の一才年長で、日宣美の特選と奨励賞を獲ったバリバリの注目の新人デザイナーだった。ナショナル宣伝研究所の大方の仕事は松下の電気製品の新聞、雑誌広告で、神戸新聞のマイナーな仕事に比べるとメジャーで、その波及効果も全国的だ。僕に与えられた仕事は、新聞広告というより、ポスターやカレンダーなどの目立つ媒体の仕事が中心だった。そして広告関係ではグンゼ製絲の雑誌広告やカレンダーを担当することになって先輩のデザイナーよりも花形グラフィックの仕事が多かった。そのことでは十分満足が得られた。グンゼの広告キャラクターは雪村いづみだったので、カレンダーの写真や雑誌広告のアートディレクと、いうわけで大阪のナショナル宣伝研究所に入社することになった。神戸新聞社という大企業から、松下電器の関連会社といっても戎橋のたもとにある地下の小さい職場である。給料は多少高くなったかと思うがいくらだったか記憶にない。社長は竹岡リョウ一所長、常務はその夫人の美佐さん。部屋は所長室と並んでデザイナーとコピーライター、事務員がおよそ10人で、カメラマンが一人。神戸新聞社の広々した空間から、いきなり大部屋。それでも僕を入れて6人のデザイナーの内3人が日宣美会員とは、信じられないほど刺激的な環境である。大阪まで通うのに三つの交通機関を利用する。デザイナーの西尾直さんは大阪の中堅デザイナー、もうひTadanori Yokoo撮影 三部正博18
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