KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年7月号
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観るに充分な給料が貰えていなかったからであろうかと思う。年令はまだ19歳であった。自分でも子供だと思っていた。夕方、退社と同時に誰とも遊びに行かずに真っすぐ下宿屋に戻っていた。まるで世間の風に当たるのを恐れていたように思う。誰かと喫茶店に入ってお茶を飲むことにも大して興味がなかった。以前にも書いたが、同僚のデザイナーの木村君や、広告部のデザイナーの岡井さんと社内をウロウロするのが趣味といえば趣味で、他に何か特別な遊びに興じるというようなことはいっさいない、ただクソ真面目な少年であったように思う。そんな少年の唯一の趣味といえば、三宮駅のガード下にあった三宮ミュージックのストリップ劇場に出し物美術家横尾 忠則神戸で始まって 神戸で終る ⑥には横断幕が張られ、大劇場の催事の予告や、スカイシネマの映画の題名などがデカデカ書かれていたように記憶する。神戸新聞社に入る前は生地の西脇に住んでいて、加古川の印刷所に電車で通いながら、趣味で映画雑誌の外国のスターの肖像画などを模写して「遊んで」いたので、映画には特別の興味があったが、神戸新聞にデザイナーとして採用され、駆け出しのデザイナーになった途端、趣味の映画スターの肖像画はいっさい描かなくなってしまった。あんなに映画が好きだった少年が、自分が勤めている建物内に映画館があるというのに、全く映画に関する興味がなくなっていることにも特に不思議とも思っていなかった。その理由は多分、映画を記憶は何かの媒体を通してしか想い出せないのは僕だけだろうか。それともあまりにも時間が経ってしまったので、何もかもが風化してしまったからかも知れない。僕の神戸時代というのは、やはり神戸新聞会館での生活が主役である。その生活も毎日が同じ事柄の反復で、昨日がそのまま今日に反復、今日はそのまま明日に反復という具合に時間が縦に流れているのではなく、ほとんど静止に近い動きのない時間の中を玩具のネジが回転して、カチンと音を立てて止まる。そんな、比喩でしか伝えられない、実に抽象的な、ミニマルな一日の連続で、大して面白みのない日の連続であったように思う。神戸新聞会館の建物の壁面Tadanori Yokoo撮影 三部正博14

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