KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年6月号
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市封鎖的な状況になってきたので、数年ぶりに『ペスト』を書架から取り出して読んでみた。たいへんに完成度の高い作品だった。私と同じことを考えた人がたくさんいたらしく、『ペスト』は1月末に27万4千部増刷されて、新潮文庫は94刷り、116万部に達したと聞いた。パンデミックになると浮足立つ人もいるが、逆に思索的になる人もいる。こういう機会だからと、未読であったダニエル・デフォーの『ペスト』(A journal of the Plague year)も取り寄せて読み始めた。これは人を特に思索的にするタイプの書物ではないが、一つ一つのエピソードに腹にずんと応えるような衝撃があって、450頁を一気に読んでしまった。1665年にロンドンをペストが襲う。前年の12月に二人の外国人旅行者が死んだことから始まって、ロンドン市を西から東へなめるように悪疫は広がり、最終的に46万人のロンドン市民のうち7万5千人がペストで死んだ。ただし、ロンドンを抜け出して、途中で発病して死んだ者や、どこの土地にも受け入れられずに行き倒れになった者たちはここにカウントされていないから、おそらくロンドン市民の二割ほどがこの時に死んだと思われる。デフォーの『ペスト』の語り手はロンドンに住む馬具商である。自分の商売とロンドンを出た兄の家の管理のためにとまどっているうちに逃げ出すタイミングを逸して、最後は市の防疫行政の手伝いをするようになる。デフォー自身はペストの年わずか5歳であるから、この語り手は彼自身ではない。おそらく長じてからペストを生き延びた人たちを取材して、彼らが語るエピソードを総合して、想像上の語り手を造形したのだろう。でも、「ロンドンは滅びる」と街路で絶叫する裸の男や、死体の積み重なる墓地の鬼気迫るありさまにはペストのロンドンを実見したダニエル少年のトラウマ的経験がおそらくは反映しているはずである。『ペスト』を読んで感心したのは、1665年のペストと2020年30

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