KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年6月号
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な存在であったことは確かだ。にもかかわらず、当の灘本さんは、自分の口利きで、僕を神戸新聞社に入社させた、というような気持ちはまるっきりなかった。世の中には恩きせがましく、いつまでも根に持って、そのものの自由を奪おうとする人もいると思うが、灘本さんは、「そんなこと、あったかいな」みたいに、僕との出合いを大事にしてくれた。そんなわけで僕はいつも金魚の糞みたいに灘本さんの後をくっついて行動していた。そして、以前にも触れた「NON」という若者20人で結成されたグループに灘本さんの推薦で参加することになるのだが、ここまでの鳴かず飛ばずの僕は、新設されたマーケティングセンター時代は実に愉しかった。神宣美展で入賞して、会員に推挙されていたが、それ以上の向上を求め美術家横尾 忠則神戸で始まって 神戸で終る ⑤命に身をまかせてきたところがある。第一、僕の出生が、自分の意志ではなんともならないレベルで定められていたからである。僕には誰もと同じように生みの親がいたにもかかわらず、その実父母から切り離されて、養父母となる「親」の元に養子となった宿命がある。自分の意志では何んともならない環境で育てられることになった。すでに出生の出発において、運命に身をゆだねられたわけだから、その後の生き方にも、こうした状況が常に影響してきた。従って神戸新聞社に入社できたことも自力ではなく、他力が働いたとしか考えられない。つまり運命に従った結果ということである。そんなきっかけを作ってくれた灘本唯人さんというデザイナーは、僕のデザイナーというか、人生の出発点に於いて非常に重要神戸新聞社に入社できたことは、今思っても不思議でならない。すでにこのことについては何度か触れたが、何度触れても、あの一件だけは不思議を通り越して今でも奇跡だと思っている。学歴もなく、デザインの専門教育も受けたことのない、極めて口べたの田舎出の少年だった自分に降りかかってきた(こういう表現は不幸を表わす時に表わす言いまわしかも知れない)が、ここでは幸運という言葉に置きかえたい。人間には生まれながらに与えられた宿命がある。と同時に自由意志を持った運命も同時に与えられている。運命は人の意志を超越して、幸、不幸をもたらす見えない力というか、そんな術を運命そのものの中に開花させている。僕は基本的に、というか生まれながらに、この運Tadanori Yokoo撮影 三部正博12

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