KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年5月号
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長も係長の寺尾さん、もうひとり椋野さんというデザイナー、そしてやがて下宿することになる大家の村松さんというデザイナーも、全員ベレー帽をかぶって、他の新聞社の社員との間に差別化を計っていた。ところで僕はベレー帽をかぶっていたのだろうか。同僚の木村君は確かに黒いベレー帽をかぶっていたように記憶する。当時の写真を見ると僕は白っぽいハンチング帽をかぶってベレー帽族との差異化を計っていたようだ。そう考えるとデザイナーは全員が芸術家にかぶれていたのかもしれない。元町の宣伝研究所がそのまま、三宮の新聞会館に移ってきてマーケティングセンターと名称が変ったが、その部長の大淵さんも係長の寺門さんも、コピーライターの山田さん、そして三人の女性もベレー帽をかぶっていた。も美術家横尾 忠則神戸で始まって 神戸で終る ④者の大半は神戸新聞社の地下の輪転機からロールのまま、新聞が刷り上がっていく風景を物珍しそうに眺めていた。僕がこの工場内を見たのはたった一度だけだったが今だにその印象は残っている。見学者の見る所はここぐらいしかなかった。あとは一階のショッピングフロアーぐらいで、デパートの売り場の方がよほど商品の数も充実していた。大半が女性を対象にした商品で、僕は店内を一、二度散策したことはあったが、男が店内をウロつくのには抵抗があった。建物の中には三階と地下の一角に喫茶店があって、同僚の木村君や、セクションは違うが一階の広告部の新聞誌面の広告を担当する先輩の岡井さんといういつも黒いベレー帽をかぶっている人と社内をうろつくのが習慣になっていた。彼の上司の西山課神戸新聞会館は国鉄三宮駅と直角に建っていた。駅のホームに立つと新聞会館の側面には巨大な岡田紅陽の富士山の写真が巨大なタイル壁面になって目の前に岩壁のように突っ立っていた。なんで神戸に富士山なのか理解に苦しむが、とにかく目ざわりな壁画の富士山なのである。また新聞会館と三宮駅は地下の商店街の通路で結ばれていたが、通路の利用者は新聞会館に用のある人間しか通らないので、いつも人はまばらだった。だから通路に面した数軒の商店は繁盛しているようには見えなかった。地上は新聞会館と三宮駅の構内を結ぶだだっ広い広場になっていたが、やがてこの空地は新聞会館に来る観光バスの駐車場になった。開館当時は県下の各地から来る見学者でいつも建物の周囲には人が溢れていた。見学Tadanori Yokoo撮影 三部正博20

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