KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年3月号
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瞬間だと思うんです。「むき出しになる」という言い方を私はします。もちろん、自分の本質の汚い部分は知りたくないという方もいるでしょう。でも自分を極力知っている方が人生の選択ができると思いながら、「塔子」を撮っていました。―監督自身、塔子に共感する部分はありますか。私は共感というよりは、寄り添っていた感覚かな。塔子をみるときは鞍田になり、鞍田を見るときは塔子になって、どこか孤独な二人が肩を寄せあってつながるところがあればいいと思いながら撮っていました。―登場人物への愛を感じます。脚本を書くときも撮るときも、例えば塔子という人生の馬車に自分が乗り込むというイメージですね。準備の期間から撮影中もずっと塔子になって日記を書いたり。見えている部分だけじゃなくて、「塔子が16歳の時はどういうことがあったんだろう?」とか、役者さんだけでなく、スタッフとも延々そんな話をしながら制作していました。登場人物の持ち物まで含めてその人の人生に付き合っている感じ。それがおもしろいんです。―鞍田の愛読書が、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』だったのにはこだわりがありますか。『陰翳礼讃』はもともと私が好きでした。日本建築の美について綴られた本で、その中で谷崎さんが「暗闇にほのかに灯る明かりが何かを照らすときにこそ美しさがある」と書いています。まさに塔子の人生です。ずっと暗闇の中で苦しみもがいている。でも人生の中で一瞬光がみえる瞬間は誰にでもあるはず。そして、自分自身が自分の内側をしっかり見つめて、こう生きると決めた瞬間はおそらく人生の中でその人が一番美しい瞬間であるなと考えたりもしました。―劇中歌「Hallelujah」は歌詞が聖書からの引用で、二人が罪深い存在であるように感じさせられました。不倫はもちろんよくない。そもそも誰かを傷つける行為が罪ですよね。でも、もっと言えば、生きていること自体が罪かもしれない。人間はいつも正しい選択をして生きているわけじゃない。失敗したり、どうしようもなく誤った選択をしてしまう瞬間もある。でもそうして、もがいて生きている瞬間こそに祝福あれ、「ハレルヤ」と言いたくてこの曲を選びました。―とても女学院的です(笑)。ところで監督は今、恋愛されていますか。それはどうでしょう(笑)。でも劇中の余さんの台詞で「どれだけ惚れて、死んでいけるかじゃないの?」ってありますけど、「惚れる」ってことを私はとても大切にしてはいます。男性に対しても友達、人、仕事に対しても。実は、この言葉は20年くらい前に、30歳年上の尊敬する先輩に言われたんです。ワインを飲みながら。―素敵なお話です。是非いつか、そんなかっこいい大人世代の恋愛映画も見てみたいです。それは興味があります。いつか撮ってみたいですね。38

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