KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年3月号
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という大人のラブストーリーですね。でも甘くはない(笑)。世間の価値観を守って「自分の感情を抑え込んで頑張っている」塔子が、自身の心の中の〝本質〟を見つけるまでを描きたいと思いました。「妻」や「母親」として正しくあろうとする「塔子」は、現代にたくさんいると思います。「まだ子供が小さいから」「自分が我慢すれば丸く収まる」とすべて自分のなかに「仕舞ってしまう」。日本の女性の場合は特にそういう方が多いのではないでしょうか。―同じ女性の立場で見ると、夫・真の、悪意のない言葉への小さな苛立ちとか、思わず頷ける場面がありました。真も決して悪い人ではなくて。むしろ良識のある「いい夫」です。問題は二人のずれで、育った環境の違いや向きあう時間のなさとか。事実、誰かと向き合う行為は怖いことでもありますしね。―夫婦のありかたについても考えさせられます。男性が見ると、妻の本音を知ってショックかもしれません。いや、むしろ、奥さんや彼女、娘さんが何を考えたり感じたりして生きているかを知っていただきたい。もっと多面的に人間を見れば、その人自身を深く愛せると思いますし。でも女性同士で見ていただく方がトークは盛り上がるかもしれませんね(笑)。―世間では「Me Too」運動はじめ女性が声を上げ始めていますが、実生活では見えない塀を自分で作って生きている気がします。本当にそうです。100年前にイプセンが『人形の家』を書いた時代から、女性が「〝母〟〝妻〟の役割に縛られて生きている」ことは変わっていない。小説の台詞で、映画でも使ったのですが、「男の人は、千年経っても、男じゃないですか」とあります。1000年ですよ。ただ最近は、男性も男性であることに息苦しいと感じる声も出てきているので、そろそろ、「女性だから」「男性だから」という考え方のハードルが下がったらいいなと思いますね。「人はいつも、自分の内側に潜んでいるものを目覚めさせてくれる、誰かを探し求めているのではないか」―鞍田との再会で、塔子が変わっていく様子が印象的でした。決して新しいものではなく、塔子の中にもともとあって潜んでいたいろんな面がひとつひとつ浮かびあがってくる感じです。毎日誰かの目に映る自分ばかり意識していると、自分自身が何が好きだったかさえ見えなくなる。結果、好きな服すら着ることが出来ていない。塔子の場合は、鞍田がぶつかってきたことで、はじめてもがきはじめます。―「自分を目覚めさせてくれる存在」ですね。それは恋愛に限らず友達でも、深い関係とはそういうものだと思います。仕事も本気でやっていれば、自分の知らない自分が出てくる。思わず声を荒げてしまうことも。でも、それは本気の37

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