KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年3月号
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日本語で書くのは、いい詩を作りたいから―音楽との関わりの初めはドラムだったとか。憧れのミュージシャンがいたのですか。高校1年のとき、バンドで何となくドラムを始めたけど1年たったら全国大会で優勝。当時はうまかった(笑)。一番好きなのはリンゴ・スター。憧れたのはザ・バンドのリヴォン・ヘルム。あまり連打がなくて、手数が少ないけれど、すごくセンスがいい。―そして「唯一無二」とまで評されるドラマーに。始めた頃は意味もわからずリヴォン・ヘルムを真似していて、それから独自の音を探していったからそう言われたのかな。後から知ったんだけど、彼はリードボーカルだからマイクがあって複雑なことができないし、あまり大きな音を出すと歌が聞こえなくなるからあのスタイルだったんだよね。―ご自身で自分のドラムを評すると?岡林信康と競演する時は迫力あるドラムになるし、高田渡だと少し大人しくなる。一緒に演奏する相手次第。―松本さんがミュージシャンとして活躍しておられた70「あの松本隆が神戸に住んでいる」。そんな噂を聞いてから久しい。ご自身のSNSには神戸の風景に溶け込み、たくさんの神戸の人たちと交流する姿がある。インタビューをお願いすると、「堅苦しい話じゃなければね」と応じていただいた。21

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