事だと思います。ややもすれば、ドライバーだけがスポットライトを浴びているんだけど決してそうではないのです。車一台に3人のドライバーが走るときには30名近くのスタッフがいるわけです。エンジンのメカニックのことや、タイヤや、パーツを補給する部隊だとか、休んでいるうちに食事をしますからそのケータリングの部隊もいます。ぼくらがル・マンで優勝した1991年のときは、3台エントリーしましたから約120名のチーム員がいました。いろいろなところからプロを集めて、国籍はドライバーだけでも7ヶ国ぐらいの人間がいましたから、非常にインターナショナルな体制を組まなくてはチームとしてやっていけませんでした。食事や眠る場所などすべて考えなくてはいけませんからね。ぼくは、マツダスピードの社員でありながらマツダの契約ドライバーでもあったから、2つの顔を持っていたんですが、そのレースチームをぼくがオーガナイズしていたんです。ふつう、ドライバーはドライビングだけです。だからぼくは非常に特異な存在でしたね。91年ル・マン24時間レース総合優勝車「マツダ787B」3535
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