KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年2月号
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神戸で生まれたボクが北九州小倉の父の実家で育ち、小学校4年・5年の2年間、神戸六甲の叔母の実家から高羽小学校に通った。北九州工業地帯の有害な煙で覆われた処から、妹・瑠美ちゃんと2人で神戸の空気を吸った。先ず、神戸三宮駅に着いた。巨大な建物の中にチョコレート色の電車が出たり入ったり、北九州にはない風景、未来都市だった。出迎えの叔母と一緒にチョコレート色の電車に乗って、六甲で降りた。駅から坂を上って約10分の処に叔母の家があった。2年間の神戸生活、時には両親が来て、4人一緒にチョコレート色の電車で王子動物園や三宮に買い物に連れていってくれた。その両親は、それから遡ること15年前、北九州小倉の港町に育った父と、北海道室蘭の港町に育った母が港町神戸で出会っている。そして2人は奇跡のように恋をして、結婚しボクが生まれたのだ。父は絵描きの夢をもったロマンチストな男だった。関西学院の学生時代、スケッチブックに沢山の絵を描き、絵日記をつけていた。絵日記にはカラーインクでサーカスの絵や、神戸の港町の絵を描き、子供をおんぶした母の切り絵も貼りつけてあった。絵日記には童話のような文も書かれていた。童話の主人公の男の子の名前が「せいぞうちゃん」で、女の子の名前が「るみちゃん」だった。今は父母も鬼籍の人に、そして妹・瑠美ちゃんは2年前に亡くなった。でも今、神戸の町に立つと、ボクはひとりではない。家族4人であのチョコレート色の電車に乗って、ワイワイ賑やかに、いつも買い物に行っていた「三宮」に向かっている。今回、ボクが生まれ、ボクの家族の思い出の三宮、「神戸阪急」で画業45周年の展示会が出来ることは大変に嬉しく思います。皆さん、ありがとう。チョコレート色の電車神戸阪急『わたせせいぞう展』に寄せて31

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