KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年1月号
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大きなきっかけは震災です。お店に「パンないですか?」とお客さんが訪ねてきました。神戸の人たちにとってパンはとても大事なものだと分かってから。自然の流れです。「食」は健康に生きていくためにとても大切なもの。その輪の中に、料理もパンも、お菓子も、食材も、サービスも…全てが含まれ、それぞれが補填し合い、季節ごとにいろいろなものが入れ替わり完結すると思っています。ただし、「いつかパン屋さんをやらなくてはいけない」という思いはずっと持っていました。―それは何故ですか。昭和という時代、日本はまだ貧しくて食べるものも今のように豊かではなく、でも心の豊かさがありました。私が育った家庭も貧しくて、2軒隣のベーカリーで毎日パンを焼く怖い顔をしたおじさんが、パンのミミを届けてくれていました。母親がミルク粥にしてくれると、たまにハムの切れ端が入っていて嬉しくて、毎日でも飽きないほど美味しくて、子ども心に「天使のパン」だと思いました。だからコム・シノワにはいろんなところに天使がいるんです。すごく努力して、追い越していく若い職人たち―そこへ、西川さん(「サ・マーシュ」オーナーシェフ西川功晃さん)がやってきた?彼はレストランのお客さんで、話をすると「俺にパンを焼かせろ」モードでグイグイ迫ってきていましたからね(笑)。その後、震災があり予定通りにはいかなかったものの、「コム・シノワ」オープンに至りました。―それ以来の師弟関係?今や師弟逆転ですよ(笑)。若い職人たちはみんな努力して私を追い越していきます。嬉しいのと同時に、私もまだまだ坂の途中ですから、いい意味でジェラシーを持ったり、感47

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