だった頃、激しい勤労奉仕と栄養失調の東京での生活に疲れ果てて帰省した時、すし詰電車の中でこの土の色をみて思わず涙をこぼしたのを思い出す。この赤褐色の土はいつみてもあたたかく豊かで大好きだ。電車が仁川の駅にとまると、ついふらりと降りてしまう。私が住んでいたのはもう二十数年前、建物は変っても道はそう変っていない。柄にもなく感傷的な気分になって一人で歩いてみる。むこうから犬が一匹、トコトコ駆けてくる。野良公のような風釆でスットンキョウな顔をした奴だ。それでも赤い革の首輪をつけているのでどこかの飼犬なのだろう。道に何か落ちていると噛んでみたり、道端の草に小便をひっかけたり、他の家の垣根をくぐり抜けたり、いっこう真っ直に歩こうとしない。この滑稽なワン公のあとについて歩いていると子供の頃の私はこのワン公そっくりであったことに気がつき可笑しくなってしまった。友達から「凸でこぼう坊、凸でこぼう坊」と呼ばれていたあの頃、学校から家までどんなにゆっくり歩いても十五分とかからない道を「周ちゃんは二時間かかって帰って来る」と母を驚き呆れさせたものだった。大きなランドセルを背負ったまま、蟻が昆虫の死骸を自分達の巣までせっせと運んでいくのを、無事にその作業が完了するまで眺めていたり、よその家の垣根のバラの蕾を一つのこさず数えてみたり、ついでに害虫も退治してやり、くたびれたら樹陰で昼寝もし、川原でめだかをおどかし、兎に角、目につくものには何でも交き合ったのだから一時間でも二時間でも経つ筈である。学校では「宿題やっていないものは?又、遠藤か、立っとれ」「後で騒いでいるのは誰か?又、遠藤か、立っとれ」兎に角、「又、遠藤か、立っとれ」と拳骨の雨で終始した。母に懇々と諭されて授業中、一生懸命、黒板をみつめ先生の言われる事を聴くのだが、どんなに努力してもさっぱりわからない。たまりかねてあたりをきょろきょろしはじめる。友だちは皆、温和しく先生の話を聴いている。前に座っている奴の首すじを尖った鉛筆でチュッチュツと突いてみる。「キャアー」驚いた友だちは、突っ拍子もない声をあげる。「ハックショイ」私はあわてて誤魔化すため嚔くしゃみをする、が先生の眼は鋭くこちらをにらんでいる。「こらぁ、又、遠藤か、お前はどうして……」40
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