KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年1月号
34/53

『神戸っ子』は創刊三十周年を迎えたという。これは私が江戸川乱歩賞をいただいて、プロの作家として歩んできたのと、おなじ年輪というわけだ。『神戸っ子』では、それが三月号にあたるそうだ。私のプロ入り三十周年は、それではいつになるのだろうか?昭和三十六年十月に受賞式があったが、受賞の通知は、八月四日のことだった。忘れもしない生田神社の夏祭のときで、夕方、店から家に帰る途中、カバンの手提げの部分がはずれてしまった。――もうサラリ‐マン生活はやめてよいということかな?と思いながら北野町の坂を登って行くと、妻が坂の上で手を振っていた。受賞のしらせがあったと、さすがにすくなからず興奮していた。じつは七月のはじめに、最終選考の五篇にはいったので、略歴を知らせよ、という連絡があったので、心待ちにしていたのである。受賞作「枯草の根」は、四月半ばに脱稿した。五百枚の原稿を投函しに行ったのは、生田神社の春祭の日のことで、生田さんとは縁が深い。というよりは、神戸では生田さんが一種の暦になっているのだろう。作家生活三十周年を祝うとすれば、脱稿投函の生田さん春祭か、受賞決定の夏祭、受賞式の秋祭か、そのいずれかということになる。だが、ことさらに祝うという気持にはならない。ふりかえってみるというのは、大切なことかもしれないが、なにやら年寄めいて、おもしろくない。このあいだ亡くなった井上靖さんで、私が感心するのは、いつ会ってもつぎの仕事の話をすることだった。『神戸っ子』と私の三十年陳 舜臣(作家)36

元のページ  ../index.html#34

このブックを見る