KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2020年1月号
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「よみがえる神戸」― この題名で書けと申されたが二日たっても三日たっても書けない。がんばって今に立派に立ち直ってくださいなどしらじらしく書けるわけはない。今はチーンと沈みきったとき、それゆえガンバレの声は必要だろう。けれどガンバレなどかんたんにはそう口から・でない。げんに共同通信のいかにも若い記者からこんなひどい映画館があるんですよと報告のファックスも私の手もとに送られてくる。神戸は三○才までの私の「ふるさと」。私はそのふるさとにどうしてあげようと考えこむ。八十六才では出かけていちいちお見舞いもむりだ。それでいずれ常識だがお見舞金を映画館の団体へお送りしてと思っている。ところで、神戸だが、これは思いもかけなかった。関東大震災のときは天井からぶらさがっている電気のガラス傘がかすかにかすかにゆれた。するとすぐに号外のすずの音とともに「号外号外」の声がした。その東京が今ここにある。大不幸のあとには見違える神戸が、きっと淀川 長治(映画評論家)月刊神戸っ子700号記念特集復刻集34

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