KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年11月号
46/53

時期にもかかわらず、当時副管長で、私とは兄弟のような親交があった高田好胤さんがわざわざ来てくださって、彼女が吉祥天に似ているとかで「うちの吉祥天を加藤君が奪った」と。今でも忘れられない思い出です。同じ趣味と共通の話題で、楽しく過ごした時間を経て―新婚生活は。隆久 当時は甲南で教えていましたので、毎晩、教え子たちが冷やかしに来る。あまりに頻繁に来るので、家内に「もう玄関を開けなくてもいい」と言うと、今度は屋根に向けてバラバラバラと石を投げてくる。迷惑な話で…そんな彼らも、今では大企業の社長さんやら立派な大人になっています(笑)。昌子 その子たちが帰りがけに、「先生、ええ所に住んでるなあ、酔っぱらっても這って家に帰れる」と(笑)。隆久 景気のいい頃には、東門街をはじめこの周辺には2700件もの飲食店があるといわれていましたからね。お酒は一切飲めない私も、夜な夜な出かけて多くの文化人たちと楽しい時間を過ごしていました。―自分だけ楽しんで…などと思わなかったのですか。昌子 「楽しそうにやっているな」と思うだけで、「自分ばっかり」なんて思うことは全然なかったですよ。家で皆さん集まることもありましたし、主人はいつも、その日あったことを面白おかしく話してくれるので、私も笑わせていただいていました。隆久 二人で一緒のこともたくさんやりましたよ。蛭子神社の井上宮司夫妻をはじめ、職員たちや知り合いなど含めると50組以上の仲人を二人で務めました。地元郷土芸能を集めた日本民俗芸能団では団長としてカナダ・ドイツ・エストニアをはじめ55カ国へ出かけましたが、ほとんど全て家内も一緒に行きました。フランスに行った時はパリで恐ろしい経験もしましたし…。昌子 そんなこともありましたね。隆久 こんなふうに共通の話題があるのも、56年結婚生活が持ち堪えてきた理由の一つでしょうね。ところが、楽しく過ごしていたところにあの日がやってきました。神戸の街の復興は生田神社から!と立ち上がる―平成7年1月17日、生田神社も甚大な被害を受けましたね。48

元のページ  ../index.html#46

このブックを見る