KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年9月号
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年大会までは、どちらかといえば相手国にチャレンジをする心構えでぶつかっていたと思います。それが2015年大会の日本代表選手たちは、挑戦者ではなく同じ土俵で戦っていました。格上感すら漂っていて、相手を受け止める感じでしたね。ぼくらのときと違って、アジアのチームも格上のチームとどんどん当たるような編成になっており、練習も相当ハードなものですしね。我々は古き良きラグビーでしたから、ぼくら元選手たちはみんな、早く引退して良かったね、と言っています(笑)。―現在は、神戸製鋼のチームアドバイザーでおられます。ぼくが監督時代にマネージャーだった福本正幸さんに手伝ってほしいと言われて、現場には出ていませんが、どの外国人選手を入れるかといったような編成のサポートをしています。総監督のウェイン・スミスをはじめ、良い縁ができていいチームづくりができていると思います。スれが今でも日本代表の思いになっているようです。―では、前回大会の歴史的勝利は喜ばれたでしょうね。それが試合の途中で眠ってしまいまして(笑)。というのは、南アフリカ戦の勝利は、関係者が一番信じていなかったんですよ。それほどすごいことなんです。南アに勝つということがどんなにすごいことか、メディアも含めて一般の方はよくわかっておられなかったでしょうね。2011ジンバブエに勝ちましたが、95年にはニュージーランドに記録的な大敗を喫し、それから前回の2015年に勝つまで24年かかりましたね。ですから95年の大敗が、ネガティブでしたが日本ラグビー界にとっては節目だった気がします。2003年大会ではスコットランドとの試合で、観客の胸を打つ試合ができた日本代表は、「勇敢な男たちだった」と評価され、『チェリーブラッサム(開花する桜)からブレイブブラッサム(勇敢な桜)』と、海外メディアが紹介してくれまして、こ現役時代、3度のW杯に出場、神戸製鋼では日本一を経験した31

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