KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年7月号
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其の十四十四十四「神戸で落語を楽しむ」シリーズ繰り返し叩き込まれた基礎の上に、揺るぎない落語があるこには面白い先輩がたくさんいて、米朝師匠をはじめ枝雀師匠や仁鶴師匠の本やカセットテープがいっぱいあって、借りて帰って聞いてみたらおもしろくて。先輩からあちこちの寄席を教えてもらって聞きに行くようになりました。それが僕の落語への入り口でした。―そこからは落語三昧の学生生活で、卒業後はプロになろうと?吉弥神大の落研は先輩が丁寧に教えてくれます。そのうち自分でやるようになると、聞いている人に笑ってもらえることが嬉しくて。でもプロになるつもりは全くなかったですね。教師になりたくて一浪で神戸大学落語の面白さに衝撃を受けた学生時代―神戸大学の落語研究会が吉弥さんと落語との出会いだったそうですね。吉弥子どものころから新喜劇を見たり、友達と漫才の真似ごとをやったりはしていましたが、落語は古くさいという思い込みがありました。大学に入って、学内でやっている寄席を全く期待もせずに時間つぶしのつもりで見に行ったところ、「こんなに面白いもんなんや!」と衝撃を受けました。学生なりに工夫を加えた古典落語「いらち俥」と「みかんや」、もう一つ東京落語、今でもよく覚えています。部室に遊びに行ったら、そに入り、初等教育学科で留年して5年がかりで小学校教諭免許を取りました。いざ教育実習に行くと「大変な仕事やなあ、責任重大や」と実感。その頃すでに寄席で吉朝師匠の落語を聞いて「テレビで見たことない落語家だけど、お客さんがすごく笑っている。なんやろか!?この人」と興味が湧き、追っかけのように師匠の寄席に通っていました。卒業後の進路に直面したとき、学校の先生になって苦労するより、吉朝師匠の弟子になって苦労するほうが納得して辛抱できると考えるようになりました。そして師匠のところへ。落語家桂吉弥さん44

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