KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年7月号
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その時、私は「自分が目指すのはこれだ」、中学の絵画部、高校の演劇部でやってきたことが落語に集約されていると感じました。そして、真剣に落語を聞くようになりました。―大学に入って落語研究会に?文枝進学した関西大学には落語研究会はなく、「誰かやらないか」という国文学の先生の呼びかけに応じて「落語大学」を立ち上げました。同級生の林君が初代〝学長〟、私が二代目〝学長〟(笑)。ユニークな林君の名前が省之介(しょうのすけ)。私が大学卒業後、落語家になろうとよしもと興行へ行ったら、社長の名前がなんと林正之助。運命的ですね(笑)。―お笑いの世界に入っていかがでしたか。文枝その頃、若手の落語家には仁鶴さん、枝雀さん、春蝶さん、小染さんなど数人いて、中堅、ベテランも元気で、上方だけでなく東京でも落語界が百花撮影 高槗 靖38

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