KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年6月号
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213物心ついた時からぎゅうぎゅうと建物がひしめく路地で、ガシャンと裁断機の音が響き、カタカタとミシンが軽快なリズムを刻む。そんな街の鼓動を、1995年1月17日、大地の震えが拭い去ってしまった。「この一画で残ったのは2軒だけ。あとは全部瓦礫になっていました」と、鈴木さんは静かに振り返る。「震災が直接影響した訳ではないと思うのですが、どこかで〝このままではいけない〟という思いに結びついていたのでしょう」。物心ついた時から、靴づくりはそこにあった。鈴木さんの父は長田で腕を振るう婦人靴のシューズパタンナー、祖母も内職で中敷きの加工に携わるなど、まるで心身にものづくりの魂が染みるような環境がやがて堅固な土台を築いていく。神戸っ子らしくファッションにも興味を抱くようになった彼は、高校を卒業する頃から靴にさらなる興味を持つように。大学へ進学したが特に目標もなく、父の勧めもあり中退して靴づくりの道へ進んだ。父から1父建次さんの後姿を見て育った 2 3現在、アッパーの部分は弟の悦男さんが担当する。鈴木さんのよきビジネスパートナーでもある25

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