KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年5月号
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年、社長に就任しましたが、ちょうどバブルがはじけ、売り上げは落ちていく一方、よくここまで持ち堪えたものだと思います(笑)。―ユニオンは60周年を迎えたそうですね。建築資材関係の会社に勤めていた先代が、戦地から帰って独立し問屋業を始めました。1958年、ドアハンドルメーカー「ユニオン」としてスタートしましたので、昨年60周年を迎えました。ちょうど東京オリンピック、新幹線開業、大阪万博開催のころ、ドアハンドルをオーダーする時代になり、それに応えて信頼を得てきました。―ここまで成長した理由は、どこにあると思われますか。デザイン性があるということでしょうか。ドアハンドルは建物の顔です。ユニオンのドアハンドルを使うことで建物に品格が出てきて、空間の雰囲気までも変えてしまいます。現在は約3千種類のドアハンドルがあり、国内で出来た建物のドアハンドルのシェアはほぼ90%です。それに関連してさまざまな製品で新しいものにチャレンジしていることも理由でしょうか。また、「工場は絶対に持つな」という先代の遺言で、デザインと販売だけに特化し、製造は外注したのもよかったのだと思います。―人生で努力する時期が、ユニオンでの仕事の中にあったのですね。ドアハンドルは先代が作ったものです。私も何かで成功しなくてはいけないと考えていました。アメリカへドアハンドルを持って行きましたが、「まるでジュエリーだ」と称賛されるけれど、全く売れない。そこで見つけたクローゼットドアを日本に持ち込みましたが、最初は全く売れない。センチや尺が標準の日本にインチ2018年10月に開催された甲南大学同窓会「REBORN 61!オール甲南の集い」で挨拶を行う49

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