KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年4月号
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持ち出し、泣く泣く燃やしました。悔しい思いでした。―平生先生は日本が軍国主義に走ることを危惧されていたそうですが、学内にもそういう雰囲気はあったのですか。積極的に反戦活動をすることはなかったようですが、軍隊は嫌いだ、戦争は嫌だ、戦争に向かう全体主義には反抗するという雰囲気がありました。教練の時間に配属将校から「ここのところ日本軍の情勢が芳しくないのはなぜか?」と質問され、ある生徒が「それは陸軍が悪いからです」と本音で答えてしまい、「我々の努力が足りない」などという答えを期待していた将校を烈火のごとく怒らせたそうです。それでも実際には在学中に徴兵され亡くなられた先輩方もたくさんおられます。―福井さんは甲南高校を修了後、大阪大学に進まれたのですね。ラグビー部の先輩が多い京都大学に行きたかったのですが、戦後は家が経済的に大変でした(笑)。みんなおおらかでしたね。―福井さんも好きなことをやっておられたのですか。私は飛行機が大好きで小学生のころから模型飛行機をいっぱい作って、将来は戦闘機のパイロットになりたいと思っていました。甲南でも入学してすぐに航空部に入り、プライマリーという入門者用のグライダーで飛んでいました。楽しかったですよ。ところが終戦を迎えグライダーどころか、模型飛行機を作ることも許されなくなり、部屋中にあった模型飛行機を全部庭にさんおられます。―知育、つまり勉強は3番目?これは驚きでしょうね。私も入学してすぐ、甲南では自分の成績を向上させればいいだけで、友達と競争して順位を上げることを勉強の目的にしてはいけないと諭されました。平生先生は「試験は無理やり勉強させるためではなく、生徒一人一人がどの程度のレベルに達しているかを判定するために使うもの」とし、席次が公開されることはありませんでした。他の高等学校では公開されて席次順に並ばされたりしていたようです。そんなことも大学に入って初めて知りました。―自己管理が必要ということですね。自分の好きなことをやればいいが、自分で努力しなくてはいけない。ですから怠けていると進級できず、落第も多くて7年間のはずが13年間通った生徒もいたそうです。ところがそれを誰も恥ずかしいとも捉えず、「友達がたくさんできて良かった」と2月16日に開催された甲南歌唱祭で旗を振る福井さん44

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