KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年4月号
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58歳で社会奉仕専念を決断甲南病院を設立30代にして実業界で一目置かれる存在となった平生だったが、1925年、60歳で社会奉仕に専念するべく、東京海上保険の職を辞した。最初の社会事業が甲南病院の設立だった。二人の妻を相次いで病で亡くしていた平生は、「医は仁術なり」を解さない医師の多さを危惧し、「誰もが受けられる医療」を目指して財界からの寄付を募り9年かけて開院にこぎ着ける。弱者支援や災害支援をはじめ、病診連携や完全介護制、病院食改善など今では当たり前となっているサービス提供を始めた。灘購買組合(現・コープこうべ)結成にも尽力平生はさらに、イギリスで協同組合の活動に関心を寄せていたこともあり、神戸購買組合を立ち上げたキリスト教社会活動家・賀川豊彦に共鳴。実業家の那須善治を賀川に紹介し、賀川の熱意に心を動かされた御影山手に開院した甲南病院学校法人甲南学園所蔵資料40

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