信頼するアリソンを日本に派遣する。来日したアリソンには日本中から引き合いが殺到した。神戸へやって来たアリソンは廣野ゴルフコースの設計に携わることになる。1931(昭和6)年1月、寒風吹きすさぶ廣野を訪れ、いつもの長靴姿で池や谷の曲折変化を実地で確認したアリソン。インスピレーションが湧き上がってきたのだろう、その感激ぶりは大変なものだったという。早速、神戸に戻り、オリエンタルホテルの一室にこもり切りで3日間、後世に残る18ホールの素晴らしいレイアウトを書き上げた。約3カ月の滞在だったが、大谷光明、赤星兄弟はもとより、後に「西の上田治、東の井上誠一」と称される設計家に影響を与えたアリソンは、日本のゴルフコース、そして日本のゴルフの近代化に大きな足跡を残したといえるだろう。1324512アリソンが描いたゴルフコースとグリーンレイアウトの設計図 3完成間もない1番ホール 4アリソンが描いた5番ショートホールの日本画 5昭和6年に描かれたアリソンの設計図が残る35
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