KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年3月号
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開場当時の8番ホール昭和7年、開場の始球式のボールを受け取る高畑キャプテン開場当時の13番ホールたので(笑)、父は山本通の自宅に居て、とても慌てて出かけようとしていました。「どこへ行くの?」と聞くと「今から廣野へ行かなあかん」と。その後、皆さんがケーブルで下りて来て車で駆けつけたそうです。戦後、荒廃したゴルフ場再興の立役者・乾豊彦氏鈴木 アリソン設計のコースは部の理事長でもあった九鬼子爵は理解を示し、土地は無事に譲り受けることができました。その後の資金集めには大変苦労したようですが、現場監督を伊藤長蔵が務め昭和6年2月に着工、高畑の熱心な主張で、当時としては画期的、関西初のベントグラスを採用した18ホールのゴルフコースが、昭和7年6月19日に開場しました。クラブハウスは建築家・渡辺節設計で大林組が施工した建物でした。渡辺節といえば乾邸も設計していますから乾新治氏との関わりがあったのでしょうね。ところがクラブハウスは昭和32年に火事で全焼。1年後、同じく渡辺節設計、竹中工務店の施工で再建されました。佐井 火事のことはよく覚えています、夏でしたね。その日は乾豊彦さん、岡崎忠さんなど皆さん六甲山の別荘にいたそうです。うちは別荘を持っていなかっ27

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