KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年3月号
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感覚、照明などの演出による幻想的な感じなど、音楽を核にあらゆるものが繋がってひとつの世界を創っている。僕は音楽を聴きながら何かをするということはあまりない。音楽の聴き方もただ音を聴くのではなく、音楽で何を表現したいのかを探るように聴いている。だからアルバムを聴いてわからなければライブにも行く。しかも僕の場合、音楽に限ったことじゃないけれど、そうやって「たぶんこういうことだろう」と想像したことが合っているかどうか、ありがたいことにアーティストの知人が増え、ご本人に答え合わせができるので、それもまた楽しい。もちろん正解だと嬉しいけれど、自分が想像していたことと違うとそれはそれでまた興味深く、視点や切り口の違いを知って学ぶことが多い。以前述べたかもしれないが、僕は甲斐バンドの甲斐よしひろさんに憧れて、VネックのTシャツを着て、しゃべり方、歌い方、ギターの弾き方を徹底的にマネした。憧れるのに何の根拠もないけれど、後に甲斐さんと知り合いになってその答え合わせができた。甲斐さんは誰にでも敬語で話されるし、照明やミキサーなどのスタッフさんも昔からメンバーは変えられていない。僕はそういう甲斐さんの人間性を感じ取って、だから好きになったのだと思う。そしてセットリストの流れ、照明の色、バックで流れる映像など、音楽を取り巻くさまざまなものすべてに深い思索の上のコンセプトがあることにも魅了されていたのかもしれない。僕の創るお菓子の世界は、ノヴェラや甲斐バンドの世界と似ていると思っている。口に入れた時こういう感じになってこう着地してほしいとか、パッケージに色や味が連動して、メッセージを見たら情報が豊富で、でも少し考えさせられるとか、味の周りにある楽しみは音楽を核にしたさまざまな演出と同じことだ。しかも音楽は僕らのお菓子以上に時代性がある。世の中に対するメッセージを、時に挑発的な内容で発信されたりもする。お菓子の場合だとそれがついつい幸せ感満載な感じの方向に進んでいくけれど、作者の苦悩や創り手としての立ち位置でパッケージのコンセプトを創っても良いのではと、音楽を通じて考えるようになった。例えばモンスターカカオというパッケージは、僕が創作にあたりどんな感性や能力を使うかを、3つのカカオのモンスターに託して表現したのだが、そんなアプローチはミュージシャンらしい感覚じゃないかと思う。ここには次世代に向けて、ものづくりにはこういう能力が必要なんだよというメッセージも込めている。一粒のショコラでも、口にすれば立体感が広がり、かわいらしさやエレガントさなどいろいろな感じがするだろう。そんな想像力をもっとかき立てる音が生まれるかもしれない。味覚、音、色、ビジュアル。五感で感じるものはすべて繋がる。すべてが繋がっているからこそ、この世の中に無駄な物などひとつもない。それをプチンプチンと切って考えるから、物事の本質が見えなくなるのではないだろうか。19

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