KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年2月号
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―真珠の総合商社を代々営む奥田家の長女として生まれた麻弥子さん。お祖父様から子ども用のパールのネックレスをプレゼントにもらうなど、幼少期から美しいパールを見て、触れて、という暮らしだったとか。パールに限らず、女子ですからアクセサリーは好きでした。お小遣いを貯めては、好きなアクセサリーを購入していました。大学生の頃、「AGATHA Paris」がとても流行っていて、同級生とヨーロッパ旅行に出かけて、パリの本店で意気込んで、お買いものをした思い出があります。―大学を出られて、すぐお父様の仕事を手伝われるようになったのですか?いいえ、ホテルで3年ほど勤めていました。おもてなしや接客術を学ぼうと思って入社したものの、配属されたのはなんと人事部で(笑)。表舞台とは全く関係のない給与計算などを行っていました。社会人としての基礎的な知識を習得後、将来、真珠の仕事をするときに役立つのではないかと思い、大阪の宝石の専門学校に通い、「GIA G・G (米国宝石学会グラジュエイト ジェモロジスト)」の資格を取得しました。父の会社を手伝うようになったのは、その後のことです。―GIA G・Gとは、宝石業界で成功するために必要なダイヤモンドおよびカラーストーンの総合的な知識を深める、業界で最も権威のある資格のひとつだとか。カラー、クラリティ、カット、カラット重量という4Cや、宝石を評価するための技術的な専門知識と実践的なスキルを示す資格なんですよ。天然石か合成石かを識別したり、石のグレードを判断したりという宝石の知識だけでなく、ビジネスのノウハウなどもきちんと学べたのが良かったですね。それまでは家業のことも深く理解しようと思わなかったのですが、ビジネスのことを学んだことで、父が40歳代の頃、精力的に世界を飛び回っていたことがいかに大変なことだったかわかり、改めて尊敬するようになりました。―お父様の奥田一弥さんは、真珠業界にタヒチ産黒蝶真珠を広めた第一人者として知られています。「真珠といえば、白」が常識だった時代、業界内のパイオニア的存在として 「タヒチ産黒蝶真珠」の取り扱いを開始しました。1990年当時、タヒチ産真珠の総生産量は少なく、黒い色をした黒蝶真珠は珍しかったものの、爆発的に売れるものではないだろうと考えられていました。そんななかでも父は頻繁にタヒチに足を運び、養殖業者と連携して、取扱量を増やし、10年かけて業界でのタヒチ産黒蝶真珠における有数の地位を築きました。黒蝶真珠は、黒蝶貝からとれるものを示します。“黒真珠”という大きなくくりで見ると、白いあこや真珠を黒く染めた加工真珠も含まれます。今ほど普及されていなかった時代には、黒色系の色味から仏事でしか利用してはいけないというイメージをお持ちの方も少なくなく、日本で市場をつくるには大きな苦労があった33

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