KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年2月号
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…六甲山の麓、灘区の篠原伯母野山町のお生まれで、社名の「篠原伯母野山デザイン」もそこからとられたそうですね。ええ、漢字だし、読みにくいし、戸惑われる方も多いのですが(笑)、この地名には「西日を浴び北風の当たらぬ日だまりの地」を表すという云い伝えがあるんです。まだ自分の進むべき方向性がはっきり決まっていなかった頃、六甲山の麓なのに六甲おろしの寒い北風も吹かない、暖かなテロワールに生まれ育った私だからこそできることをしたい!という想いを込めて、つけました。…太陽いっぱいの土地で、どのような幼少期を過ごされましたか。兄と弟と一緒に裏山に秘密基地をつくったり、アケビや野イチゴやツクシを摘んできて食べたり、カブトムシやクワガタを採りに行ったり。今、思うとたくさんの自然体験を通して、五感が研ぎ澄まされていったように思いますね。当時は六甲に「カナディアンアカデミー」があったので、海外の子どもたちとよく一緒に遊んでいました。彼らのファッションや、醸し出すインターナショナルな雰囲気に憧れを感じていたことも覚えています。…パーティ文化に精通されているご近所の海外の方達のように、アカリさんのおうちでもホームパーティなどを開かれていたのですか?パーティ等にあまり関心のない母親だったので逆に反面教師でパーティオーガナイザーの仕事に就いたのかな(笑)。そんな母が、私が小学生の頃、ある日、家に帰ると“さんちか”の「ブレッドダイニング グーテ」で買ってきたチーズパンを皿に盛り付け、シチューを作っていたんです。当時、晩御飯といえば、白飯&お惣菜という時代でしたから、なんだかいつもと違うなぁと。実はその日は母の誕生日で、母が自分で自分のバースデーパーティを開いていたんです。部屋中がシチューとパンのあたたかい香りに包まれた特別な時間だったのでよく覚えています。他にも友達が家に来た時に母が手作りのクッキーを焼いてくれたことも。そういうときの甘い香りや穏やかな空気感が幸せで楽しい記憶として残っています。すごく特別でなくても日々の暮らしの中での何気ない幸せな記憶って大切27

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