KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2019年1月号
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いう字が入っているので文枝一門にも話を通して。─初代は二代目曾呂利新左衛門でしたし、プレッシャーがあるのではないでしょうか。文之助初代も二代も上方落語の歴史には必ず出てくるような偉大な噺家ですからね。ただ、80年以上誰も継いでいなかったので、そのへんは気楽です。映像が残っているとこれからずっと比較されますが、それがないですしね。─いま米朝一門には期待の若手が多いように感じますが。文之助そのへんはちょっとよくわかりませんが、米朝師匠の薫陶を受けて育った者が育てるので、基本に忠実に、細かいところまで神経を配るようにということを大切に指導しているのでしょう。米朝師匠も枝雀師匠もしっかり筋道を立てて教えてくれたので、それが継承されているのかもしれませんね。空模様も読める噺家─気象予報士の資格を取得したのはなぜですか。文之助昔、朝早い情報番組を担当していて天気予報があったのですが、その頃高校生が気象予報士の資格を取ったというニュースがありまして、ならば僕もいけるかなと安易な気持ちで。ところが合格率が6~7%と難関で、そこそこ勉強しました。4年かかりましたね。─神戸でも定期的に落語会を開催していますが。文之助2000年くらいから九雀と吉弥とKAVCホールで落語会「神戸らくごビレッジ」をほぼ隔月で開催しています。喜楽館ができてからはこっちへ移って、この12月に100回目を迎えたんです。次回は2月25日(月)の夜席です。─神戸では一般の方向けの落語教室を開催されていますよね。文之助落語をやってみたい方に落語を教える教室です。最初は小咄からはじまって、「つる」や「子ほめ」などの前座噺を教えて、その後はお好きな噺を覚えてもらって「ここはこうしましょ」という感じです。落語なんて喋るだけですから、器用な人は割とすぐできますよ。地道に、質を落とさずに─喜楽館設立に関して、担当委員長を務められましたが。文之助開館直前の昨年6月に、新しく就任した笑福亭仁智会長から打診を受けたんですが、それまでは桂きん枝兄さんを中心に頑張っていて、僕は特に関わっていなかったんですよ。いまは昼席のメンバーを決める委員長をさせていただいています。─オープンの時の感想は。文之助委員長としてもそうですが、やはり生まれ育った神42

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