KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年12月号
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好奇心を原動力に、ジャンルを超えてマルチに活躍10月21日、今年も「コウベ・オールザッツジャズ」のステージに立った園田涼さん。好奇心旺盛で何にでも挑戦し、そこにおもしろさを見つけ、上達してしまう。フルオーケストラの譜面も独学で書いてしまったとか。灘中、灘高、東大出身という異色の経歴を持つミュージシャンです。―音楽との出会いは?3歳の時、近所でエレクトーン教室に通い始めました。父はそのころから「灘から東大へ行け」と言っていましたし、僕はレッスンが嫌で、嫌で(笑)。小学校低学年のころかな、先生から「嫌ならやめていいよ」と言われ、母親にそれを話すと激怒され、続けることになってしまいました。―その後、音楽の楽しさに目覚めたきっかけは?小学5年生の時、KinKi Kidsの「硝子の少年」のピアノのイントロを聴き、音楽室で弾いていたら、目立たない子だった僕が一躍人気者に!これが「音楽にはこんな力があるんだ」と初めて気づいた時、人生で初めてモテた時と言ってもいいかな(笑)。みんなが知っている曲を弾くと喜んでもらえて、ハマりましたね。そして中学3年生の時、小曽根真さんのCDを聴き、「このカッコいい音楽は何だ!?」と衝撃を受け、「やりたい」と思ったものの、やり方も分からずにいると、小曽根さんが通っておられたジャズスクールを父が見つけてくれて、ジャズピアニストに弟子入りすることができました。―「灘から東大」と言っておられたお父さまが?父も音楽が好きで、僕が一生懸命やっているので理解があり応援してくれていました。まさかプロを目指すとも思ってなかっただろうし…。―超難関校灘中学を受験して、合格されたわけですよね。ギリギリですけど何とか合格。ところが入ってみると灘中はすごい学校で、それまで見たこともないような天才がごろごろいる。本能的に「勉強では勝てない」と分かり、すぐに勉強は諦めました。―そこから音楽の道をまっしぐら?僕の青春は小曽根真さん。初音楽のあるまち♬14ピアニスト・キーボディスト・作曲家・編曲家園田 涼 さん38

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