KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年12月号
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連載 神戸秘話 ㉔(最終回)瀬戸本 淳(せともと じゅん)株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役1947年、神戸生まれ。一級建築士・APECアーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年に瀬戸本淳建築研究室を開設。以来、住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞、国土交通大臣表彰、黄綬褒章などを受賞これまで神戸高校とそのルーツとなった学校に関係した人物について綴ってきたが、神戸高校の兄弟校ともいえる兵庫高校の系譜にも優秀な人物は多い。本来ならそのあたりも書きたいのだが、今回が最終回なので、両校とゆかりの深い女性植物学者、岡村はたを紹介しよう。大正12年(1923)に岡村家の次女として御影で生誕。生家は嘉納治五郎の道場の南側にあったという。3歳の頃から登山好きの父に連れられ六甲山に登り、小学校入学前後に引っ越してきた家の番地は当時の六甲の最高峰の標高と同じ932の1で、庭には六甲山の山砂*でロックガーデンをつくったというから面白い。小学校の頃には気圧計で標高を測り、草花の写生を覚え、学校から帰ると玄関に置いてあった捕虫網を持って虫取りに出かけていた。県立第一神戸女学校(現在の神戸高校)に入る頃になると一人で六甲の谷という谷を歩き回るようになる。蝶やトンボを「彼女」、甲虫やハチを「彼」とよんで「わたしの昆虫記」を書く一風変わった生徒だったようで、昭和13年(1938)の阪神大水害時の際はその数日後、リュックにノミと弁当箱を入れて岩石採集に行き、水晶を拾ったというから逞しい。自由な校風の中で、大好きな昆虫採集や自然探索に打ち込んだ。やがて奈良女子原点は六甲山の自然植物学者 岡村はた文・瀬戸本 淳 (建築家)14

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