KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年11月号
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作り始めたら全てを完結しなくてはいけません。水を飲みたい牛は待ってくれませんし、植物は人間の意志に関係なく育ちます。あの日は直前に牛が一頭脱走して…。和子 トラブルが起きると、主人は全て自分で直したり、解決したり。ごく普通の家庭で育った私はびっくり。一家に一台、便利ですよ(笑)。チーズ工房では、いつも真剣勝負―結婚してすぐお二人でチーズづくりを?和子 7年間は父と母も健在でしたので家業には関わらず、いろいろ教えてもらいました。初めて作ってもらったのがテールスープ、クリスマスには鶏を丸ごと焼いて、それまで知らなかったお料理をいろいろ。ところが、3人目の子どもを妊娠した直後、豪放磊落で楽しくて主人がとても頼りにしていた父が亡くなりました。ちょうど高度成長期、この辺りは市街化区域で宅地化の波が押し寄せていました。忠生 父が残した7ヘクタールの土地を守らなくてはいけない、自分に何ができるのか?悩みました。一つのアイテムとして考えたのがチーズづくりでした。マンションを建てても私には何もできない。子どものころから牛乳を搾り、バターやチーズを作る父を見てきましたから、真似することぐらいはできるだろうと。和子 そこからが大変。私は3人目の子どもが生まれたばかりだったので関わらないと思いながらも、すっかりのめり込んでしまいました。時として意見が合わない二人、その上、主人は決して自分を曲げない頑固な〝こって牛〟。それを何とか動かそうとチーズ工房では大声をあげて対抗することも。当時のパートさんたちには「この夫婦、明日は離婚か?」と思われていたようです(笑)。夕食時は子どもたちがいても、夫婦の会話はチーズのことばかり。何度も失敗を重ねながら「フロマージュ・フレ」が完成しました。このキャンバスで創作した作品です。忠生 ところが、生チーズの食べ方など全く知られていない。そこで三角屋根の「チーズハウス・ヤルゴイ」を開いて、牛乳とチーズを食べていただくスペースにしました。横にテラスを広げ、囲いを付けて今の建物になりました。レストランメニューを作り、ウエディングやカルチャースクールなどを始めましたが、生産、加工製造、販売までを手掛けることは農業としては認められていない時代でしたから、心ある多くの神戸の皆さんに応援いただきました。仔牛のころから搾乳期を迎えるまで放牧される牛たちは健康そのもの32

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