KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年11月号
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戦後初の女性議員 高こうら良とみ激動の時代に世界平和を希求した平和運動家連載 神戸秘話 ㉓瀬戸本 淳(せともと じゅん)株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役1947年、神戸生まれ。一級建築士・APECアーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年に瀬戸本淳建築研究室を開設。以来、住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞、国土交通大臣表彰などを受賞文・瀬戸本 淳 (建築家)彼女は天の声が聞こえていたに違いない。日本人を、アジア人を、全人類を愛して働き、不滅の仕事を成した高良とみ。自伝「非戦を生きる」(昭和58年)でこう述べている。「今、私たちの国は、主体性もなくふらふらとして、アメリカの言うなりに右へ右へと動きつつあります。私は戦後、ソ連や中国や、その他さまざまな国ぐにの人びとに『日本は二度と同じまちがいを繰り返しません。平和の中に生きます』という決意を絶えず誓ってきました。私の尊敬するインドのガンジーさんやタゴールさんは、不戦こそが日本の生きる道だと私たちに教えられました」。そして「自分の子供が隣の家の垣根を越えたならば、たとえ叱られても怒鳴られても、子供を返してほしいと頭を下げに行けば、必ずその心は相手に通じるに違いないと確信していました」と、東西冷戦時代の昭和27年(1952)、彼女がたった1人でソ連へ赴きモスクワ経済会議に出席したことが契機になり、日本と共産圏の国々との民間交流がはじまった。これによりシベリアに抑留されていた人々の情報が日本に流れ、日中民間貿易が開始されたのだ。高良とみは明治29年(1896)にアメリカ帰りの土木技師、和田義睦と婦人運動家の邦子の長女として富山で生誕。父の転勤で関西へ転居し、2度目の転校で県立第一神戸高等14

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