KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年10月号
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の題名通り、人間にとって〝生きる〟とはどういうことかという大問題に真正面から取り組んだ作品だ。市役所勤務の初老の市民課長(志村喬)は、自分の余命が半年と知る。そんな時、部下(小田切みき)が役所の仕事は退屈だからオモチャ工場で働くといって辞職。彼女はささやかでも、ものを作る仕事は楽しいと言うが、彼はその言葉に衝撃を受け、何かやりがいのある仕事を残して死のうと、ほったらかしにしていた公園造設の仕事を猛烈な熱意でやり始め、突貫工事を指揮し、そして完成の日に死んでしまう。大詰め、公園のシーン。闇の中に音もなく降る粉雪。ひとりブランコに乗りながら〝ゴンドラの唄〟を口ずさむ。「生命短し 恋せよ乙女…」。死んでゆく主人公のイメージが次第に画面を圧倒する。黒澤はこの時「この世のものとは思えないような声で歌ってほしい」と注文をつけたそうだ。撮影は真夏にぶつかったが、役づくりのせいで本当に病気になっていた志村は、暑さを忘れ気高い演技をした。1961年のベルリン映画祭でセルズニック金賞を受賞、NYタイムズでは「世界一の名優」と絶賛された。「七人の侍」(1954年)は撮影に1年かかった。野外ロケの日が多く、天候次第で中止が相次ぐ。黒澤も三船も途中で病み、落馬、刀傷など怪我人も出た。志村は襲撃シーンで矢がふくらはぎに刺さったが、黙って役になり切り気迫あふれるシーンが生まれた。自分を出し切ったという意味で志村にとって悔いのない仕事になった。「いぶし銀」といわれた演技は、今も私たちの心を打つ。443本の出演映画の中には神戸一中28回生のスター俳優、山村聰(本名・古賀寛定 1910年~2000年)と「日本のいちばん長い日」(1967年)などで4回共演している。なつかしい神戸時代のことを楽しく語り合ったに違いない。※敬称略※神戸新聞社編『わが心の自叙伝(映画・演劇編)』(神戸新聞総合出版センター 2000年)、薄地久枝『男ありて 志村喬の世界』(文芸春秋 1994年)、志村喬記念館広報などを参考にしました。志村 喬(しむら たかし)映画俳優1905年、兵庫県朝来郡生野町(現在の朝来市)生まれ。旧制神戸一中(現在の神戸高校)などを経て関西大学予科へ進学、同大学専門部二部(夜間)へ転部、大阪市役所に勤務しながら通学していたが、演劇に打ち込み中退。近代座を経て、30歳で新興キネマに入社。マキノ、日活、松竹と移り、東宝へ。ここで黒澤明監督に出会い、「姿三四郎」「わが青春に悔なし」「酔いどれ天使」「羅生門」「七人の侍」「生きる」「用心棒」「醜聞」「隠し砦の三悪人」「蜘蛛巣城」「天国と地獄」「赤ひげ」「影武者」など、ほとんどの黒澤作品で重要な役割を果たす。ほかにも溝口健二、伊丹万作、吉村公三郎といった名監督らの傑作に数多く出演し、渋い役回りの名優として評価は高い。ほかの出演作は「ゴジラ」シリーズ、「男はつらいよ」シリーズ、「華麗なる一族」「動乱」「天平の甍」など。1982年、76歳で死去。「生きる【東宝DVD名作セレクション】」DVD発売中¥2,500+税 発売・販売元:東宝15
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