KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年9月号
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…そもそもソフィさんがブルース・リーのファンになった、きっかけは? 幼い頃、父親が好きだったテレビ番組、プロレスのアクションショーとしての演出が理解できず、「嘘っぽい。やらせやん」と常々、憤慨していたんです。そんなとき、ブルース・リーの映画(おそらく「ドラゴンへの道」)を見る機会があり、これぞホンマモンの強い人だ!と惚れこんで、どんどん深みにはまっていきました。…単なるファンで終わらずに、広東語の通訳や翻訳家になられるというのがすごいですね。あまりにブルース・リーが好きすぎて、一時期、香港に住まわれていたこともあるとか。 大学時代、香港旅行に出かけたんですね。中国返還前の80年代の香港は、爆発的な成長時期で、東洋と西洋ふたつが混在した文化で彩られた風景や人々が魅力であふれていました。将来絶対に香港に住もうと決意をしたのも、その時です。現地の人が交わす広東語は、語尾が「ラ~」「マ~」と間延びして、間抜けな印象で(笑)、これなら私だって話せるのでは?と猛烈に勉強しました。そして大学卒業後、香港にゆかりのある会社や貿易関係の事務所に勤めてお金を貯め、1993年に香港に移住。2004年までの約10年間、あちらで働いていました。…「李小龍會(ブルース・リー・クラブ)」に入られたのも、その時ですか? はい、たまたま出勤途中に、表紙がブルース・リーの雑誌を購入し、そこに紹介されていたクラブ発足の記事を読んで、すぐにブルース・リーへの想いと入会したい旨をしたためた手紙を送ったんです。まさかの日本人、しかも女性ゆえ、発起メンバー達も最初は半信半疑だったようですが、嘘ではないとわかり、それならば執行幹部になってもらおう!という話に。1995年に正式設立する前の準備段階から参加し、すべての海外会員の窓口、特に日本の会員さんには日本語で対応し、活動のベースを支えています。…ブルース・リーの実弟が名誉顧問を務められる「李小龍會」は、地元香港から台湾、シンガポール、ヨーロッパ各地ま43

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