KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年9月号
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くら 落語って敷居が高いですか?それはきっと、しばらく関西に落語の定席がなかったからでしょうね。明治時代は関西に寄席が何十軒もあったんです。落語はもともと非常に身近な大衆芸能なんですよ。 そして落語家は羽織着て正座していますから、写真だと堅く見えちゃうんですよね。でも音で聴くと全くそんなことはありません。噺家は着物ですが、お客様が着物で観に来られる必要はありませんよ!ラフな服装で気楽に聴いてください。 関西の人は意外と舞台を観に行かないんですよね。落語のみならず、演劇、歌舞伎、文楽など本場の劇場がこれだけ揃っているのは東京と阪神間しかないんです。せっかく身近に舞台があるのに、一回も観ないなんて勿体ない話だと思いませんか?寄席は値段もそんなに高くないし、お芝居と違っていろいろな芸を観られる「ショーウインドウ」のようなもの。ですから芸能に触れる入口としても最適ではないでしょうか。 寄席の雰囲気も和の舞台で、普通の光景じゃないですよね。出囃子の音がワクワク感を醸し出し、そこから演者が色を染めていく。そういうところにも魅力を感じるでしょう。 落語は、演目は同じでも演者によって演出、やり方が変わるのが魅力です。初めて落語に触れた方はそれが新しい発見になると思います。 噺家は座ってお辞儀していきなり本編に入るのではなく、まずは演者が噺家自身の言葉としてしゃべる「まくら」とよばれるものがありますが、演者のキャラクターが滲み出て面白いんですよ!そこでお客さんが和んで本編に入っていくのですが、その展開も聴きどころです。 本編の演目には、大きく分けて古典落語と新作落語があります。古典落語は昔から受け継がれてきた噺で、時代に淘汰されず残ってきたものです。しかもその時々の演者が必死で自分のネタにしようと努力し、その数百人、数千人の努力により磨かれ創られてきたので、完成度が高いのは当たり前です。 古典落語は時代設定も古いですけれど、それがなぜ現代にも通用するかというと、日常的な場面や人間関係がベースになっているからだと思うんです。だからシーンを自分の経験に、登場人物を身近な人に置き換えることで噺に共感でき、親しみを感じるのかもしれません。 一方、新作落語はナンセンスやファンタジーも採り入れているところが面白さの大きな要素です。基本は演者=作者ですので、演者のセンスや個性を反映させやすく、その人のすべてが表れるのが魅力でしょうね。来館するには緊張無用 いつでも気楽に普段着でクライマックスに向け盛り上がるストーリーの深遠さ40
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