KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年9月号
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ました。なんと武左衛門と五郎兵衛の対決本まであるんです。米沢彦八、鹿野武左衛門、露の五郎兵衛はほぼ同世代で、彦八が一番年下だったようですが、この時代、お笑いが文化として盛り上がっていたんですね。 鹿野武左衛門は実は彦八と同じ難波村の出身なんですが、大名や豪商相手の座敷芸で名を馳せた人物で、三味線を用いてお大尽向けに音曲付きの芸を披露し、それが江戸落語に結び付いたのですね。 それに対し米沢彦八は、生國魂さんのごった煮の舞台で、隣の芸人と戦いながら大衆を笑わせていたんです。武左衛門は大名に媚び売っているのに、彦八は大名をコケにして(笑)。江戸と大坂は笑いが真逆なんです。 ちなみに露の五郎兵衛は元僧侶で、法事や葬式があったらその家の前で笑い話をしたんです。精進落としみたいなものでしょうか。江戸は武士、京都はお坊さん、そして大坂は大衆に笑いのルーツがあるというのは本当に面白いですよね。─死に様も笑いのネタに 戦国時代末期から江戸初期に安楽庵策伝という人物が日本初の笑話本を出しているんですが、鹿野武左衛門の話にはそこから引っ張ってきたものが結構あるんですよ。一方の米沢彦八の笑話はオリジナルのものが多いんですね。しかも想像力豊かでSFっぽいというか、発想が飛んでいるんです。例えば貧乏神を祀った神社をつくって、お詣りせんかったら祟られるぞとみんなをおどしたらお賽銭で潤ったものの「もう貧乏じゃないからここにおられへん」と貧乏神が出て行ったとか。ナンセンスなお笑いが得意だったようですね。 最期も米沢彦八らしいんです。名古屋で公演することになり、地元の大商人がものすごく大々的に宣伝して、たくさんのお客さんを見込んでいたのですが、公演の直前に名古屋で亡くなったんですよ。しかもそれを武士の日記でめっちゃ損したと笑い物にされて。人生の緞帳が下りる時にまでオチをつけ、死に様でも笑いをとったんですね。 米沢彦八は落語家ではじめてのことをしています。それは襲名です。彦八が死んでからしばらくして、二代目米沢彦八が出てきて、四代目くらいまで続きました。残念ながら現在、米沢彦八の名を継いだ噺家はいませんが、彦八の芸と精神はいまなお上方の噺家たちに受け継がれているのではないでしょうか。 来年2月、大阪松竹座で『天下一の軽口男』が舞台になります。主役の米沢彦八を演じる駿河太郎さんは、笑福亭鶴瓶師匠の息子さんです。みなさまぜひご来場ください!彦八についてもっと知りたい方は『天下一の軽口男』をぜひ!38

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