KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年9月号
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やっさんに置き換えてひとつの形にしたので、私落語とも言えるでしょうね。 『妾めかうま馬』なんかもそうですよね。殿様に見初められた妹が子ども産んで、殿様が喜んで兄貴を喚ぶんですよね。でも兄貴は礼儀も何もないから、殿様と普通に渡り合うんですよね。でもそういうことって普通にあったと思いますよ。そこをどう理解して、どこに自分自身が感じるかですよ。それをもとに自分で落語を組み立てていくんです。─人柄が素敵な偶然を招く 噺家は、いまが上手いからといってどんどん良うなる訳じゃたけれど、「ハイ、一本覚えた。ハイ、次新しいの」っていう感じでしたから、きっちり残るもんじゃなかったんです。私落語も50歳からなんです。 もともと米沢彦八という人が軽口しゃべってはって、「昨日こんなことあってな」っていう感じで語っていたのがひとつの形になって落語になったんですね。それって私落語と変わりないんですよ。そんな日常のできごとをいろいろな人がいろいろな口で語っていって、練り上げられて古典落語ができたんだと思います。でも『青木先生』とかは僕の経験ですから他人には喋れないですよね。『癇かんしゃく癪』はもともと古典にあった噺を、主人公をお─体験を噺にした私わたくし落語 もともと僕、新開地にあった松竹座でテレビの収録してましたから、この街へは何遍も来ているんですけれど、すごく良い街ですよ。この前もおやっさん(=師匠の六代目笑福亭松鶴)に連れて行ってもらったお店にあいさつへ行ったんですよ。 おやっさんは僕に一切、落語の稽古つけてくれなかったんですよ。そういう育て方をしようと思ったんでしょうね。何にも習ってないからこんなに自由になって、いまこうやってできているんだと思います。よう考えたらホンマは自分が覚えたいものを盗むことの方が大事ですよ、無理から教えられてやるよりは。やりたいと思う熱意があったからこそ噺を覚えられるのであって、何の思いもない人が覚えたって忘れてしまいますよね。だから落語は忘れませんけれど、ドラマのセリフはすぐ忘れます(笑)。 僕は50歳から落語をやりはじめたんですよ。春風亭小朝さんに言われて。それまでもやって33

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