KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年8月号
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スで代理店を買収したのを皮切りに、直接販売という形をとったことです。高井 どういう理由があったのですか。家次 代理店経由で販売していると、お客さんの情報が正しく伝わってきません。これではいけないと考えていたころでした。幸いなことに90年代、EUができヨーロッパがひとつになりました。それぞれの国の代理店が今後どうするかと思案し始めていましたので、そこを買収していき、ヨーロッパでは直接販売のネットワークを作ってきました。高井 お客さんの声を直接聞くことができるようになったのですね。家次 そうです。二つ目はアジアフォーカスへと切り替えたことです。90年代、漢方医学が主流の中国は大きなマーケットではなく、欧米製品の中古品が流通していました。検査結果が英語で出てきますので中国人にはほとんど分からず、手づくりの辞書を使って、とても時間をかけて解読していました。大変だったと思います。メーカーがお客さんに対して全くフレンドリーではなかったのですね。そこで90年代の終わり頃に、技術者20人ほどを派遣して現地の声を聞き、中国向けの機器を開発しました。こうして中国でのマーケットシェアを取り、ブランドイメージを固めました。高井 使う人の立場で製品をつくるということですね。家次 ものづくりにとって一番大切なことです。当時、発展途上だった中国に対しては、みんな上から目線でした。使う人に対して絶対に上から目線ではダメです。 そしてもうひとつ大切なことがサービス&サポートの充実です。医療機器というのは正確さを担保しなくてはいけませんから、ビジネスモデルを転換する必要がありました。検査機器とそれに必要な試薬をお届けしていましたが、サービスは無料と家次 恒(いえつぐ ひさし)シスメックス株式会社 代表取締役会長兼社長 CEO1949年生まれ。大阪府出身。京都大学経済学部卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。1986年に東亞医用電子(現シスメックス)入社、1996年に社長に就任。積極的にグローバル化を推進している。2016年、神戸商工会議所第31代会頭に就任。“All Kobe, For the Kobe”をモットーに神戸経済界の先頭に立つ1996年、東京証券取引所市場 第二部に上場38
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