KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年8月号
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創立から50年、グローバル企業へと成長高井 50年前、シスメックスはどういった経緯で設立されたのですか。家次 1960年、日本では昭和30年代半ばですから国民皆保険制度ができ、「人間ドック」が言われ始めたころ、創業者がアメリカへ行き、「これからのビジネスは医療だ」と判断し、医療用電子機器業界への進出を決めました。研究室を立ち上げ、製品が出来上がり、68年、医療機器販売会社「東亞医用電子株式会社」として設立し、創立30周年を迎えた98年、ブランド名であった「シスメックス」に社名を変更しました。高井 家次さんが入社されたのは。家次 84年に私の義理の父である創業者が亡くなりました。その約2年後、勤めていた当時の三和銀行を辞め、入社しました。高井 入社後はどういった改革をすすめられましたか。家次 まずは、上場するために制度改革から始めました。技術的な部分は強くても、人事制度、原価計算制度といったところが弱いというアンバランスがありましたので、上場のためにはバランスを取らなくてはならなかったのです。高井 今や、世界約190カ国に輸出するグローバル企業ですね。家次 90年代の輸出は欧米中心に代理店を通して売ってもらうという形を取り、輸出と国内向けがちょうど今の逆程度の割合でした。現在、売り上げの約84パーセントが輸出です。シスメックスは、検体検査に必要な機器・試薬、関連ソフトウェアの開発、製造、販売、サポートを行っていますが、現在、血球計数、血液凝固、尿沈渣検査の分野においてグローバルナンバー1のシェアをもっています。ものづくりで大切なのは、使う人の立場で考えること高井 そこまでの企業に育て上げるための策もいろいろと講じられたのでしょうね。家次 ひとつは、91年にイギリシスメックスの前身「東亞医用電子株式会社」の創立メンバー(1968年)1960年代、創業者がアメリカを視察。医用電子機器業界へ進出するきっかけとなった37
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