KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年8月号
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子どもの頃、母と一緒に歌うことが楽しかった。それが原点―音楽との出会いは? 小学生のときから習い始めて中学2年生まで続けたバイオリンです。もともと歌が好きで、弾きながら歌いたいと思ったけれどバイオリンでは難しくて、フォークソング世代の母が弾いていたので身近にあったギターを弾くようになり、すっかりハマってしまいました。歌い始めると曲を作りたくなり、当時は尾崎豊に憧れて作り始めたけれど、言いたいことがたくさんあり過ぎて、くら~くて、何が言いたいのかさっぱり分からない歌ばかり(笑)。高校生になってからはストリートライブを始めました。―まだその頃は神戸だったのですね。なぜ、広島へ? 理由は、「そんな甘ったれた気持ちでストリートライブやっていても、なんにもならない」という母の一言。「はあ?出ていったるわ!」と(笑)。18歳の夏、もう運転免許は取っていたので車に乗って、歌って稼ぎながら西へ向かいました。神戸ではもうストリートライブの稼ぎのほうがバイトの稼ぎよりよくなって、ちょっと天狗になっている自分がいたのは確かです。母はそこを突いてきたのだと思います。―辿り着いたのが広島だった? 鹿児島を目指していたのですが、広島でお金が全部なくなり、お腹ぺこぺこ。どうしたら自分の歌に振り向いてくれるのかをすごく考え、歌で生きていくことの難しさを思い知らされました。そして、ちょっとしたコツを掴んだとき、人が集まり始め、「部屋空いているから使っていいよ」と言っていただいて、次第に協力してくださる方も集まってきてくれました。そして神戸と広島を行ったり来たりしながら高校を卒業し、広島を拠点に活動を始めました。―東京へ出たのは? 10年目です。家を飛び出した時のことを思い出しました。飛び込んで何とかしよう…無茶だけど、あの時みたいな気持ちで挑戦してみようと。そこでまた新しい出会いがあり、つながりが生まれました。―シンガー・ソングライターからギタリストに転向したのはなぜ? 喉に問題があり、キーを下げながら歌い続け、実はここ4、5年、つらい状態でした。楽しかったはずの歌がストレスになり始めていました。―今後はギタリストとして活動していく?49
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