KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年8月号
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ですね。私たちもそうですが、もうひとつ前の時代のデキシーランドジャズがその先駆けだと思います。日本では戦時中、一旦ジャズが演奏されなくなり、戦後、進駐軍キャンプから再燃します。神戸ではそんな中、関西学院大学の学生たちが日本初のアマチュアバンド「デキシーランド・ハートウォーマーズ」を1953年に結成します。当時「西の帝劇」と呼ばれた新開地「聚楽館」にジャズの神様〝サッチモ〟ことルイ・アームストロングが公演で訪れたときに、自主製作の音源を持って楽屋に押しかけ、サッチモが「オーワンダフル!」と言ったとか(笑)。その後も「ハートウォーマーズ」は、関西の学生を中心にニューオーリンズのオリジナルジャズスタイルを続けます。その頃のメンバーの一人に先日亡くなった小曽根実がいました。彼らの意思は「ハートウォーマーズ」「リバーサイド・ランブラーズ」「ロイヤル・フラッシュ・ジャズバンド」へと受け継がれ、時代に流されずデキシーという自分たちのスタイルを守っています。その後に続いた私たちも、スイングジャズ、モダンジャズという自分たちのスタイルを守っています。―33年間、続けてこられたわけは? 来るものは拒まず、去る者は追わず。自由なのがいいのでしょうね、いい加減ともいえるかな(笑)。メンバーがそれぞれ少編成のバンドをもっていて、いろいろなところで演奏したり、いろいろなことに挑戦したり、集まって来たらビッグバンドで演奏したり、そういう形態を取っています。本来、音楽は自由なものですからね。現在メンバーは20人ほどでしょうか、私たちのような年寄りもいれば、若い人たちも入ってきてくれています。通常、ソロはベテランと決まっているものですが、曲選びではみんなにソロをもたせる構成を心がけています。私が作った曲も100以上あるのですが、バンド用にアレンジするときには一人でも多くのメンバーにソロが回るようにしています。ステージに立ちたい、立つからにはソロを取りたい。みんな、そんなふうに思っていますからね。その時は失敗しても、それがいい経験になります。―昔に比べると神戸の音楽環境も変わってきたのでしょうね。 私たちが音楽を始めたころは、ミュージシャンで生活ができるような時代でした。今はプロもアマチュアも演奏する場所が少なくなってきました。音楽をやりたいという気持ちを支援できるといいのですが、なかなか難しいのでしょう。私たちは常にウェルカム。アンサンブルすることでパワーが大きくなります。自由に活動を続けて33年。曲選びでは、みんなにソロをもたせる構成を心がけているという42

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