KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年8月号
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たんだなと。真 父は「11PM」でテレビの人気者になってしまい、弾いている音楽はポップス。「小曽根実はジャズミュージシャンじゃない」と言われ、「勉強をする!」と突然テレビをやめて東京へ行きました。そのころに作った曲です。彼は彼なりに悔しさや葛藤があったのだと思います。親父の曲づくりは難しく考えたりしません。だからメロディーが美しくて、心にズンと響きます。でもこの曲に限っては、考えに考えて書いたのだと分かります。―ミュージシャンとしてのお父様に自分が似ているなと思うことはありますか。真 周りの人からよく言われますが、どうなのでしょう。啓はどう?啓 3人はそれぞれに個性が全然違います。でもベースにある部分、例えばメロディーを大切にすることなど、そこでは共通していると思います。子どものようにピュアだった父。家族は大変?―父親としての小曽根実さんは?真 父親というより友達みたいな関係でしたね。一番子どもっぽくて、ピュアなのが親父だったかもしれません。ピュア過ぎて、びっくりすることの連続で家族は大変でしたけれどね(笑)。父が還暦を過ぎてから、付き合えと言われて一緒にゴルフをしたりお酒を飲んだりして、ちょっと距離が近くなりました。そこで、もっと人生や音楽にきちんと向き合わなくてはいけないと何度も話をしましたし、けんかもしました。啓は一緒によく釣りに行っていたね。啓 夜釣りによく行きました。あるとき、明け方にふと見ると、いつもはポマードで決めている父の髪の毛が白くなっていて、老いを感じたことを覚えています。―子どものころ、お父様と一緒に遊んだという思い出は?真 忙しくてあまり家にいないという印象しかないかな。啓 兄貴も忙しくてあまりいなかったし、家にいたのは僕だけ(笑)。真 彼は高校に入ってから音楽を始め、吹奏楽部をビッグバンドに変えて、翌年には神戸市のジャズコンクールで準優勝してしまうんですから、すごいですよ。啓 その時演奏したのは、兄が作ってバークリーから送ってくれた曲です。ちょっとズルしました(笑)。真 曲を作り始めたころで、初めて書いたビッグバンドの曲でした。結構難しい曲だったのに、それで準優勝してくれて、僕としてもとても嬉しかったですよ。親父の息子でよかった―兄弟とても仲良しですね。真 生き方も考え方も違いますが、お互いにリスペクトしていると感じます。理解し合える年齢になったのかな、アプローチは全然違うのに、多分こうくるだろう、こう言うだろうと、何となく分かってしまいます。34

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