KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年6月号
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食べていただきたい。とにかく出来上がったら発表したいのだ。いまはリリースする日が決まっているのでその前に発表してしまうと広報のスタッフに怒られてしまうが、期日をフライングしても発表したい!人に伝えたい!それくらいの作品を創るようにしようといつも思っている。 僕は独立する前、神戸の洋菓子店『スイス菓子 ハイジ』で16年間働いたが、報告書を書かなかった日はない。なぜ毎日書いたかというと、書くこと満載の一日を送っていたからだ。気がついたこと、報告したいことがいっぱいあるから、スラスラ書けた。お菓子づくりで気がついたことばかりではなく、後輩や部下ができると、彼らのことも書いてあげないと僕が先輩や上司である意味がない。彼らのことを常に報告してあげられたら、上司や社長にもわかりやすいし、それで後輩や部下が僕以外の人間から褒められたらやる気も出るだろう。伝えることが多い毎日を送ること。僕たちの仕事はそういうことも大切なのだ。 『ハイジ』では僕の自由な感覚を、今は亡き前田昌宏社長が認め受けとめてくださった。『ハイジ』で僕は、自分が世の中で言う「非常識」だということに気付かされたが、前田社長もまた同じく常識破りという意味で「非常識」な人間だったと思う。非常識の一番分かり易い例えが社長の名刺だ。社長の名刺はチョコレートでつくった「チョコ名刺」だった。それは世の中での「非常識」に違いない。夏になると、溶けてスーツのポケットがベタベタになったので、パート・ド・フリュイ(ハードゼリー)の名刺に代わった。代わった時社長は子どものような笑顔で、僕にも「ええやろ」と自慢気に見せてくださった。そんな人だったから僕の「発表」にも理解があり、自分のやり方を修正する必要がなかった。 先輩たちは「常識」のある人たちが多く、僕の意見が受け入れてもらえないことも多くあった。ところが僕がいま『エスコヤマ』でやっていることは、社長以外の先輩たちに反対されたことばかりだったりする。事情があってやむなく『ハイジ』を辞めたけれど、その時に前田社長は「お前が大成功したら俺は間違えてなかったということやな」と言ってくださった。 僕は前田社長のビックリするような発想、『アンリ・シャルパンティエ』創業者の蟻田尚邦さん(故人)の天才的なクリエイティブディレクション能力、『ロック・フィールド』の岩田弘三社長の発想をビジネスにもっていくトータルバランスに憧れていた。『ハイジ』でそういうすごい人達を間近で見てきたことは、僕の大きな財産になっている。 19歳で入社し、21歳で垂水の星陵台の店長に抜擢されたけれど、その頃から「お前で失敗したら諦めがつく」と言ってくださっていた。そして「自由で良い。お前は間違えていない」と背中を押してくださった前田社長はいつも、「いつか小山と六甲の山奥でリンゴの木でも植えて店をやりたいな」とおっしゃっていた。六甲の山の向こうの三田にお店を構えてしまったけれど、前田社長のお墨付きを得た自由な感覚で、これからも世の「常識」を超えるお菓子を、子どもの頃のような純粋な気持ちで「発表」していこうと思う。29

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