KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年5月号
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 日本最大級の経済都市だった大阪と東洋最大の港湾都市だった神戸の中間に位置した住吉界隈は温暖で水も綺麗という条件が揃い、大阪で成功した財界人が移り住むようになりました。当時は公立学校の施設も十分なものではなく、そこで自分たちの子弟のための学校を設立しようという動きが始まります。知識を詰め込む画一主義的な教育に疑問をもち、同じ志をもつ人たちが集まったのでしょうね。まず幼稚園を開設し、順次、上の学校をつくっていった私立学校は珍しいのではないでしょうか。―病院設立にも尽力されましたね。 平生先生は岐阜県の貧しい家に生まれ、非常に苦労して勉強されたそうです。その後、東京で養子に入った家の娘さんと結婚し幸せに暮らしていましたが、奥様は産後の肥立ちが悪く、亡くなります。当時の病院はお金がなければ診てもらえず、食生活もひどいもので栄養も付けられない。41歳の時、既に2人の奥様を病で亡くすという不幸に見舞われていた平生先生は、医療の現状を見て、病人のための病院、甲南病院の設立に尽力されたのだと思います。「徳・体・知」のバランスの取れた教育を―平生先生の教育理念は? 甲南学園は創立以来、平生先生の教え「徳・体・知」のバランスの取れた教育を目標としています。この順番が、甲南らしいところです。まず「徳」です。相手を思いやる心を育むことを一番に掲げています。平生先生の「世界に通用する紳士・淑女たれ」という言葉がありますが、実はその前に「健全な常識をもった」と付いています。人を蹴落としてまで自分だけでいいのか?相手のことを思いやれる人が世界でも成功するのではないか?という思いです。子どもた甲南小学校新校舎設立当初の校舎49

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