KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年5月号
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ンケーキはヨーロッパから来たものかもしれないけれど、僕らはもっと粉を少なくして、もっとふわふわに変えてきた。新しいレシピは何となくつくってもできない。お菓子は科学だから根拠が必要なのだ。 日本の洋菓子はそうやって僕らが創り上げてきたものだと思う。日本人は美意識が高いから、美しくありたい、丁寧につくりたいという気持ちは世界でもトップクラスだ。だからこそ生み出されてきた「和製洋菓子」を今やヨーロッパが逆輸入し、世界が興味を持っている。 僕は京都で生まれ育ったので、どこかに京都のDNAを継承している。だからお菓子もちゃんとしたい。「僕ならここまでやる」という基準に達したものが、お菓子になっている。小山ロールもそのひとつだ。でも、その基準はあくまでも僕の基準。それが世の中に通用した時に売れるということになるし、通用しなかったら売れないことになる。つまり、その基準が世の中の「ニーズ」とは言わない、「ウォンツ」を超えているかどうかだ。しかも味だけでなく、大きさ、重さ、パッケージなどいろんな要素のバランスがクオリティを左右するのだ。 「自分クオリティ」は、子どもの時に何でもってそのものさしを学べたかによって、大きく変わってくると思う。だから僕は幼稚園や学校を訪ね、自分の基準を培うということが本当に大事だということを子どもたちに教えてもらえるように、先生や保護者に思いを伝えている。そうするのは、生徒や児童を取り巻く環境に身を置いている大人たちにその意識がなければ子どもたちに大切なことが伝わらないからだ。 先生も保護者も、9科目すべてできるのが良いと考えている。もちろん、それに越したことはない。でも僕からすれば、何かひとつ抜きん出て得意なところがあればそれだけで良く、「これに関して自分はこれくらいできるのだから、あとが最低じゃ嫌」と勝手に良い方向へ連鎖していくだろう。サッカーでも野球でも良い。科学実験でもピアノでも、あるいはゲームでも良い。中途半端はアカン。「やるんだったらここまでやる」という自分の基準を、何かを通じて学ぶことが大切なのだ。 でも大人はまたここで勘違いしてしまう。ピアノが得意な子は、ピアノを仕事にしなければいけないと思ってしまう。ひとつのことをとことん頑張って、困難な道のりを克服して、満足や感動を得て他人から賞賛された経験があれば、ほかのことでも頑張れるはずだ。 僕は幼少期に昆虫に対する知識と自然の摂理の素晴らしさをかなり深掘りした。そのことが「自分がやるならここまでやる」という「自分クオリティ」を養い、いまお菓子づくりに息づいている。 そして子どもの頃の経験~映像やにおいを覚えているから、いま感じたことで昔に飛んでいける。そこには郷愁が入り、お菓子やコピーに結びつくストーリーが甦ってくる。日本で培った基準があるからこそ、海外に行けば現地の人が気づかないものが見えてくるし、対比で感じたことが作品に宿ってくる。クリエイティブにはいまと幼少期がすごく大事なのだ。19

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