KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年4月号
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種のものをいいなと感じたら真似することになる。そうしたらクリエイティブじゃなくなる。だから音楽から感じたり、自然から感じたり、料理から感じたり、全然違うところから自分の本業に結びつけ、新しい形でもって提案する。 ケーキ屋には行かないが、料理人のところには行く。料理から感じるといってもネタをとるのではなく、一皿の味のバランスに感動する。例えば甘さの下に苦みがあるとか、そういうことを感じるために料理は重要だ。今年も「こういうことがテーマになったら面白いな」というのは、いま少し浮かんできている。 僕は54歳だけど、「生まれてから今日まで、いつが一番楽しかったのだろう?」とふと考えたとき、今がその瞬間だと常々思えるように生きている。人ってその瞬間瞬間楽しくありたいし素敵でありたいと思うものだ。3年前の自分が一番良かったって思わないように、新しい感覚や素材を求めていっぱいインプットをして、アウトプットできるだけの力量を備えていなければ、世界をアッと言わせる創作はできない。 ブルゴーニュに行ったとき、生産者から勧められカシス(クロスグリ)の新芽をつぶして香りを嗅ぐと、カシスの香りに緑の生命力、そして胡椒のようなスパイシーな香りが混じり合った鮮烈な香りがした。その時に僕は「完熟した果実が、最終的に一番輝いているとは思えない」と記している。カシスの実にはない輝きが、その新芽にあったのだ。 その香りを感じた瞬間、思い浮かんだのが蝉の一生だ。蝉は卵が産み付けられた木で生まれてすぐに土の中に潜るが、そこで過ごす幼虫の時間がとてつもなく長い。長いもので十数年ののち、土の中から地上に出て、羽化して何週間かだけ生き、大空を飛び、ミンミン鳴いて、交尾して、子孫を残し、そして一生を終える。成虫の状態が最終形だが、それが一番良かったかどうか?それは蝉に訊いてみないとわからない。人脈ならぬ蝉脈的には、土の中のほうが絶対にいろいろなものに出会っているはずだし、いろいろな思い出もあるはずだ。そう考えたとき、世の中のすべてのものが最終形だけじゃない、その途中の過程も素晴らしいんだというイメージが浮かんできた。 ショコラを食べてそこにメッセージがあれば、世の中の人が自分や子どもの人生、自分のまわりにいる人の仕事に重ね合わせてくれるだろう。味が人生観に繋がっていくような作品を創るのが僕の理想。そして「なるほど」「わかるよ」と共感してもらうだけじゃなく、また誰かに伝えてその輪が広がっていくことも期待している。 まだカシスの新芽しかイメージはないけど、4粒完結できればパリで発表するテーマは「儚さ」という一言で例えられるかもしれない。人間も蝉も儚いけれど、捉え方によっては「輝き」ともとれるだろう。今を輝く。そんな思いで、僕はショコラに向き合っている。19

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