KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年3月号
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温暖な気候で眺望が良く、豊かな暮らしに適した環境 明治時代、欧米先進国に追い付け追い越せと産業振興が盛んになり、日本屈指の経済都市大阪と最大級の港湾都市神戸は大きく発展した。中でも紡績業を中心に工業都市としても飛躍した大阪では人口増加に伴い居住地不足という都市問題が発生する。次第に住環境としては決して良いとはいえなくなった市内から周辺都市へと生活の場を移す富裕層が増えてくる。 その先駆けともいえるのが、朝日新聞社創業者のひとり村山龍平だった。明治33年(1900)、大阪市郊外を目指して居を移すのが一般的と考えられていた当時、御影町郡家に数千坪の土地を購入したのだ。明治7年(1874)には既に官営鉄道が開通し住吉駅が開業していたとはいえ、辺り一帯には原生林が広がり、狐狸が出没するといわれた地。大阪船場の商人たちから「村山は正気を失ったのではないか」と言われたとか。27
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