KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年3月号
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─なのになぜいま淡河へ?鶴巻 卒業後、公文教育研究会に就職し宮城県に赴任したんですよ。そこで、田舎の塾で先生が地域の教育を担っている姿に触れ、自分も一か所にとどまって地域とともに生活してみたいと思うようになったのです。その後、もともと活動していた西宮のNPOへ転職して結婚、子どもも生まれたこともあり、働き方や生き方を変えようと4年前から淡河で暮らすようになりました。今の時代の新しいお百姓さんスタイル。─村に入るのには苦労があったでしょう。鶴巻 淡河は妻の実家がありますし、有志の方々がもともと地域おこしの活動をしていたので、入りやすかったですね。入居募集が出ている訳ではないので、知人の紹介で空き家を探して持ち主と直接交渉しました。この家は大正時代の建築で、6部屋あって家賃も都心部に比べると大分安いと思います。─現在はどんなお仕事を?鶴巻 いろいろです。農村定住促進コーディネーターは3年目になります。神戸市と組んで北区へ移り住みたい方を斡旋する仕事です。ぼくは主に都心部の人への情報提供を担当し、年間4~5件マッチングしています。淡河には県内でも数少ない茅葺き屋根の葺き替え職人がいるのですが、そこで週2回、茅を束ねたり運んだりするテッタイ24

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